算命占星学2007年01月26日 04:29

 占いは一時のブームは去ったもののいまだ根強い人気を保っている。私も一通り占いをかじったが中でも算命占星学に一番興味を持っている。
 算命学とは、中国に発祥した干支暦をもとに、年と月と日の干支を出して、人の運命を占う占星術である。それは中国陰陽五行を土台とした運命学でもあり、命を計算するということより算命学という。そして算命学の占術、技法の根幹は、「人」は自然界の一部として、「人」の運勢を自然界に置き換えて運命を分析する技術、思想の体系にある。
 算命学の発祥は、定かではないが中国春秋戦国時代の鬼谷子に始まるとされる。鬼谷子はそれまであった陰陽五行思想や運命予測の技術を集大成した人といわれている。当時の膨大な技法と思想は十六の理論体系にまとめられ十六元法と呼ばれる。
 その学・術は後の秦の宰相となった張儀や六国合従の宰相となった蘇秦に受け継がれ、特に蘇秦は人を意のままに操る揣摩(しま)の術を完成させたとされており、それが算命学ではないかといわれている。
 揣摩の術、算命学は、中国大陸を統一した秦の始皇帝が権力を握ると、秦王朝内部だけの秘法とし、門外不出となった。
 その後は歴代王朝に仕える占い師に一子相伝の秘術として伝えられていった。
 そして、第二次世界大戦後中国で共産党革命が起こり、伝承者であった呉仁和氏が長崎に亡命した。この呉氏が日本での算命学の祖といわれる高尾義政氏(昭和16年生れ、平成2年6月1日没)を引き取り後に算命学を伝えたといわれている。
 高尾義政氏は算命学宗家として、中国で生まれ育った難解で膨大な算命学理論を整理し直し、日本で初めて髙尾算命学として今まで一子相伝とされていた技法を公開した。
 現在、算命占星学の伝承者として高尾氏が開いた高尾学館(校長・中村嘉男氏)をはじめとして多数の派が生れている。私はその中でも亡くなったが弟子の和泉宗章氏(今は2代目宗章が継いでいるが?)が一番気に入っている。
 彼は、彼なりに独自の技法を発展をさせていき「天中殺」で一大ブームを巻き起こした。
 日本テレビの番組・11PMのなかで和泉氏は、「長島監督は天中殺のときに就任したので、80年の開幕までに監督を辞める」と予想し、「はずれたら、私は占い師を辞める」と宣言。しかし、結果は見事にはずれ、和泉氏は占い師を廃業。今度は占いを否定する方に回り、上岡龍太郎氏とタッグを組んで「占いを告発する」という番組で占いに頼るなかれと言い出した。彼が豹変したのは決して自分のやってきた占いを全部否定したのではなく実は師匠に当たる高尾氏が主旨変えをしたとの理由による。彼が台湾の道教との関係を問うたところ、「あれは手品まがいのことをやる宗教だ」と批判的だったのに一年半後には「算命学は道教の一部だ」と言い出した上に「道観(道教のお寺)を作る」と言い出したため、宗家の教義自体に不信を持ち辞めたのが真相らしい。まぁ、占いが道教の影響を受けているのは日本古来の宮廷占い・陰陽道をみれば明らかなことなのにね。知識不足だけだったかもしれないね?
 他にも独自の技法を展開する、ananの占いコーナーで有名になった中森じゅあん女史や創楽院の伯耆弘徳(ほうきひろのり)氏がいる。
 占いはいずれも当たるも八卦、外れるも八卦。楽な気持ちで付き合いましょう。現に高名な占い師もあれだけ予言を外してもずうずうしく?テレビに居座っているのだから。