イシバサマ2007年10月13日 14:59

 またまた脱線します。
 神の系図を探る中でその原点とは何かを思いあぐねている。
 もともと原始宗教(アミニズム)においては全てのもの(木や動物のような生物だけでなく岩や水など無機物にも)の中に神(霊魂、霊)が宿っていると考えられていた、そして地震、噴火、台風、雷などの森羅万象は神の為すわざと考えられていた、そしてそれら自体も神へ。
 そしてそれらが一族や個人の守護神(氏神、産土神)から地域の守護神(鎮守)へと拡大していった。やがて同一民族という考えが広まり、その土地土地に祭られていた神様も同一の祖先につながる氏神様であるという意識が芽生えてきた。そして最後には国の神までに育っていった。
 それらの原風景が青ヶ島に残っているように思える。
 青ヶ島は東京都八丈島のさらに沖に浮かぶ島で大きな神社は存在ぜず、小さな神社やイシバサマ(石場様)がたくさんあり島民が深く信仰していると言う。
 大里村の総鎮守である大里神社は社殿とは名ばかりの小さな社で、その周りにはイシバサマが祭られている。イシバサマは多くは尖った自然石で傍に御幣だけをたてて祭られている。
 この島の信仰は神主、卜部(ウラベ)、社人・舎人(シャニン)、巫女(ミコ)からなる祭祀組織で行われる。社人や巫女は霊的素質(ミコケ)のある人しかなれず、卜部は社人や巫女が神奏ぜ(カミソウゼ)の儀式で降ろした守護神(オボシナサマ)が誰であるかを決める「審神(サニワ)」。島民はそれぞれにこの守護神を産土様として家で祀るほか、各神社の裏庭などにある丸石を積み上げたイシバ(石場)に祀る。
 オボシナサマとは本来、個人の産土神(千葉県北総ではオボスナサマと呼ぶ)のことで尖った自然石を用いていたが入手困難になり丸石を積んでケルン状にしたのではないかと思われる。その産土神を集めた場所がイシバ(石場)でありその場を守るものが鎮守様となっていったのではないだろうか?
 能登の舳倉島には多くのケルンがある。それは龍神様への供養とか海上から良く見えるための標識とか言われている。今はアワビ取りの潜水場所を覚えるための「山だめ」として使われている。私はこれは本来、イシバサマではなかったかと考えている。
 このイシバサマのルーツは沖縄から南西諸島あるいはさかのぼって台湾にあるように思えるがそれについてはいずれ。