古代塩余談(7)2007年10月12日 01:53

 今日も脱線の脱線です。今、私は面白い表を見ています。それは「国造」の一覧表です。それには天皇ごとに任命された地域や国司の名前が示されている。私には興味深いがただ見るだけなら煩わしい表なので各天皇朝における地名だけを抜き出してみた。それだけ見ていても地名の羅列だけなのでお判り頂けないと思うので終わりの7行だけを読んで下さい。
 最初は初代神武天皇の欄でまずは畿内では大倭(奈良天理)、葛城、凡河内(大阪東部)、山代(京都南部)、伊勢、紀伊、建桁(奈良竹田、宇陀)、志貴(奈良磯城)それ以外では摂津司造(兵庫県東部)、素賀(遠江佐野素賀?)そして遠く離れて宇佐(大分)と対馬(長崎)が示されている。
 続いて9代開化、10代崇神朝で三野前(美濃本巣)、胸刺(武蔵)、知々夫(武蔵秩父)、上毛野(上野)、科野(信濃)、久比岐(越後頚城)、高志深江(越後頚城沼川深江)、出雲、石見(島根県西部)、吉備中縣(備中後月県主)、波久岐(周防吉敷?)、波多(土佐幡多)、火(肥前+肥後)、阿蘇(肥後阿蘇)が示されている。
 次は12代景行朝で甲斐(山梨県)、那須(下野那須)、吉備穴(備後安那)、穴門(山口県西部)、阿武(長門阿武)、葦分(肥後葦北)、大隅(鹿児島県)、薩摩(鹿児島県)。
 次は13代成務朝で山背(京都府南部)、伊賀(三重県北西部)、嶋津(三重県志摩)、尾張(愛知県西部)、参河(愛知県東部)、遠淡海(遠江)、珠流河(駿河)、廬原(駿河庵原)、相武(相模)、師長(相模余綾磯長?)須恵(上総周准)、馬来田(上総望陀)、上海上(上総海上)、伊甚(上総夷隅)、武社(上総市山武)、菊麻(上総市原菊間)、阿波(千葉県南部)、新治(常陸新治)、筑波(常陸筑波)、仲(常陸那珂)、久自(常陸久慈)、高(常陸多賀)、淡海(近江野洲)、額田(不詳)、三野後(不詳)、斐陀(飛騨)、阿尺(旧陸奥安積)、思(不詳)、伊久(陸奥伊久)、染羽(陸奥標葉)、浮田(陸奥宇田)、信夫(旧陸奥信夫)、白河(磐城白河)、石背(旧陸奥岩瀬)、石城(磐城岩城)、高志(越)、三国(越前坂井三国湊)、角鹿(越前敦賀)、能等(能登)、伊彌頭(越中射水)、佐渡(佐渡島)、但遅麻(但馬)、二方(但馬美方)、稲葉(鳥取県東部)、波伯(鳥取県西部)、針間(兵庫県南部)、針間鴨(播磨賀茂上鴨)、吉備風治(備後品治)、阿岐(安芸安芸)、大嶋(周防大島)、熊野(紀伊牟婁熊野)、長(阿波那賀)、伊余(愛媛県)、都佐(高知県)、筑志(筑前+筑後)、筑志米多(肥前三根米多)、豊(豊前豊後)、国前(豊後国崎)、比多(豊前日高)、未羅(肥前松浦)、天草(肥後天草)、葛津(肥前藤津)
 次いで14代神功摂政、仲哀朝で伊豆(伊豆半島・諸島)、怒麻(伊予野間)、久努(遠江山名久努)。
 次いで15代応神朝、印波(下総印旛)、下海上(上総海上)、茨城(常陸茨城)、道奥菊多(陸奥菊多)、道口岐閉(常陸多珂道口)、意岐(隠岐島)、明石(播磨明石)、大伯(備前邑久)、上道(備前上道)、三野(備前御野)、下道(備中下道)、加夜(備中賀陽)、笠臣(備中の一部?)、周防(山口県東部)、粟(徳島県)、讃(香川県)、久味(伊予久米)、小市(伊予越智)、風速(伊予風早)、日向(宮崎県)。
 次いで16代仁徳朝、下毛野(下野)、加宜(不詳)、都怒(周防都濃)、淡道(淡路島)、松津(不詳)、大隅(鹿児島県)。
 残りは18代反正朝、江沼(加賀江沼)。19代允恭朝、若狭(福井県西部)。21代雄略朝、穂(三河宝飫)、加我(加賀)、羽咋(能登羽咋)。最後は26代継体朝、伊吉嶋(壱岐島)で石井従者新羅海辺人を討ったとある。
 以上をなぜわざわざ記したかというと、大和政権の勢力拡大が推定できるのではないかと思っているからです。最初の段階(神武朝)で畿内の一部だけでなく九州の対馬と宇佐の名前が挙がっているのが興味深い。2代から8代までの指定が無い!国の拡張が16代仁徳朝でほぼ完了している。また応神朝になるまで日向、周防、備前、備中に国造がいないのが神武東遷の経路を考えると興味深い。他にも関東や東北への勢力拡大の経路も読み取れるのではないだろうか?