古代塩余談(6)2007年10月11日 02:22

 前回の続きです。

・阿利神社「阿遲須枳高日子根命」島根県出雲市塩谷町1686
「出雲国風土記に『高岸の郷郡家の東北二里なり所造天下大神の御子阿遅須枳高日子根命甚く昼夜哭き坐しき仍りてその処に高屋を造りて坐させ即ち高橋を建てて登上り降りして養し奉りき故高崖と云ふ神亀三年に字を高岸と改む』とあり、高岸が高西となったものと伝えられている即ち神の住居されたところにお祀りしたものである。」
・仁壁神社「表筒男命、中筒男命、底筒男命、下照姫命、味耜高彦根命」山口県山口市大字宮野下2136
「仁壁神社の創建は崇神天皇の御代七年(前九一)天地地神戸を定められた時に、当社にも『御封を寄せ給い宮野庄もなべて当社の御封なり』と記されている。」
・一宮神社「味耜高彦根命」高知県宿毛市
「当神社一宮祭神は大国主神の御子あじすき高彦根神又の御名を一言主神とも称奉し本宮は高知市一宮の土佐神社である。」

 これらから見て味鉏高彦根神は賀茂氏や鴨氏の始祖でありもちろん出雲系の神様。住吉の神様とも近い。そして大阪市に降臨している。又の名を一言主神とも呼ばれている。なんだか混乱していますね。この秘密はゆっくりと考えてみましょう。妹君は下照比賣命といい、天孫「天若日子」の妻であり、橘氏の祭神であり京都府綴喜郡に降臨し、長じて大阪市東成区で祀られ、最後は鳥取県倉吉市で崩じている。こちらもかなり混乱していますね。どのような人生を送ったのか興味がありますね。
 味鉏高彦根神は栃木県の日光を中心に北関東(埼玉県、福島県)に一大勢力を築いており、本拠地の出雲、岡山はもちろん四国(土佐、愛媛)、九州の一部(福岡)および中部東海(静岡、長野、新潟)に勢力を伸ばしていた事が判る。
 宇都宮二荒山神社では後に毛野氏の始祖にあたる崇神天皇の皇子とされる豊城入彦命により祭主の座を追われている。恐らく毛野氏の始祖として出雲の流れを引く神より大和の血を引く皇子の方が尊ばれたのだろう。このように土着神や出雲系の神に変わって大和系の神が入れ替わっていったようだ。
 それでは、次の謎解きに向かう前に、大国主をはじめとする出雲系の神について、少し情報を整理しておこうと思う。特に味鉏高彦根神は「天若日子」や「事代主命」、「一言主命」と混同されているようなので、また下照比賣命も「加夜奈留美」や姉とも言われている「高照姫」や新羅から来たという「阿加流比売神」とも混同されているような気がする。この兄妹には謎が多い。