「ちんどん屋」さん22006年01月15日 01:34

 昨日の続きです。
 林さんが青空宣伝社に入社したころ、会社は社会の吹き溜まりのようなところで、どもってせりふのいえない役者さんや組合活動や酔っ払ってけんかして会社を首になった人、場末のバンドマン崩れの人等が集まっていた。
 そのような人たちだから、仕事中も酔っ払って仕事を失敗するわ、会社で飲んではあばれるわで大変だったらしい。
 しかしながら青空宣伝社の社長さんはとても良く出来た人で、それだけ会社に迷惑掛けた人でも、決して首にせず、ばつが悪くて遠ざかっていた人が戻ってきたときには喜んで迎え入れ時給まで上げていた。社長さんの心情は「どんなに欠陥があっても一点だけよければ良い」と。その中の一人はそれに感激して社長を受取人として少ない給料の中から生命保険料を払っていたそうです。なかなか真似出来ることではないけれど一考の余地がある話ですね。

 林さんが旗揚げした頃は、仕事がなくて年商30万円、酒屋のバイトをしながら食いつないでいた。会う人、会う人に宣伝していったところ三年後とかに仕事の話が舞い込んできたこともあったそうです。
 転機が訪れたのは、「ヤオハン」の会長に偶然お会いして。その縁で海外へも出張宣伝にいったそうです。
 ちんどん屋さんの仕事は実に多岐にわたり商店の宣伝は商店街の消滅に伴ってだんだん少なくなっていったが、替わりにレンタルビデオや携帯電話、電子メール、マンションやミンクのコート、銀行の開店、葬祭場の開設、墓石、車等従来どおりの宣伝から、場を盛り上げるイベンターとしても活躍の場が広がっていった。宣伝効果のなかったお店もあり、パジャマサロンとうな丼店。うな丼のうなぎは実に硬くこれではな~と思ったそうです。
 最近では学校の文化授業の一環として公演を行ったり、あるいは修学旅行の体験入門の受け入れも行っているそうです。

 あーあ、終わらなかったな~!次回で終了。次回はちんどん屋さんの極意と存在意義について。少しかたいかな?それでは。