死の連鎖2006年10月30日 04:25

 岐阜県の中2の少女が、「いじめ」をほのめかす遺書を残し、自分の誕生日当日、首をつった。

 生きるということは苦しいことである、が、それに耐えることによって生きる力が生まれてくる。死ぬということは怖いことである、しかしその一瞬を越れば生きるより楽になれる。
 人は生きることを諦めた瞬間に死への渇望が湧いてくる。しかしそれは死の恐怖により単なる願望に止まり絶望と恐怖の間で怯えながら生きたふりを続けるしかない。

 そこに誰かが死への道連れとなるならば連鎖的に死へ進んでいく。それがたとえ身近でなくても。

 「いじめ」が直接の原因かどうかは別として、最近若者の自殺が増えてきた。私の小さいころも「いじめ」はあった。私も高校時代に「いじめ」にあったことがある。運動部であったのでそれは「しごき」(先輩や指導者がきびしく鍛えること。)であったかもしれないが、私は勝手に「いじめ」と感じて部を止めてしまった。だからといって別に孤独とは思わなかった。死にたいとも思わなかった。確かに友達と思っていた人ややりがいの一つはなくしたが部に残るよりそちらの方が良いと判断したから。

 死ぬ人は私より感受性が強いのだろう、ひどいケースもあるだろうが些細なことでも傷ついているのではないだろうか。昔に比べて難しい人間関係、相談相手にならない教師や親。表面では笑っていても心では傷ついている。自分で自分の気持ちに気付かない振りをしているので他人の気持ちを判るはずもない。テレビでは「いじる」ことで笑いをとる番組が受けている。人の失敗や試験の珍解答をおもしろおかしく話題にする。芸能人は仕事とわりきっているので我慢出来るかもしれないが、あれを普通にやれば立派な「いじめ」である。テレビの影響で学校でも「いじめ」との認識はなく軽いノリで「いじり」をしているのではないだろうか?「いじられる」生徒の心の中も知らずに。

 体の病は直ぐに気付いても心の病はなかなか気付かない。本人自身も気付いていないかもしれない、そしてある日突然仮面を脱ぐ。

 子供の自殺が「いじめ」も絡んで大きく取り上げられているが、大人の自殺も増えている事実も忘れてはならない。先日は教師の「パワーハラスメント」による自殺が話題になっていた。原因は異なると思うが大人でさえ自殺者が増える社会、感受性の強い子供に自殺者が増えても当たり前といえば当たり前の話。ただこれが当たり前と終らないよう、これをきっかけに原因究明と今後の再発防止に努めてもらいたい。もうこれ以上若者に限らず自殺の記事を見たくない。