教科未履修問題2006年10月26日 02:46

 富山県立高岡南高校で発覚した履修単位不足問題が全国各地に飛び火し、判っているだけで10県65校、生徒数で約1万2000人にのぼりまだまだ広がりそうな勢いである。特に岩手県では県立高84校中30校で未履修が見つかり、主に理系の生徒を対象にして社会2科目を1科目で済ませようとしていた。また、保健、音楽、家庭、情報はそれぞれ2単位必要なのに、1単位しか履修させていないところもあった。文部科学省も全国調査を早急に行う予定で他の科目の未履修も見つかるかもしれない。

 学校側の言い分としては「学習指導要領から外れていたことは認識していたが、特定科目の学習は進学校では必要で、やむを得ないこと」「必修科目の授業時間数が足りず、教科書の全範囲が終わらなかった。このため、受験科目に絞って授業をした」などがあげられている。
これを受けた生徒の談話も「負担がかかるという先生の思いやりなのかもしれない」「受験科目の勉強を優先したい。冬休みに追加授業があっても違う勉強をする」「受験に役に立たない科目にこれから無駄な時間を使うのは……。怒りを感じる。全国的な問題になってルールが変わってほしい」などがある。

 このように理由の多くは大学受験に関係ない科目を削除し、受験科目に多くの時間をさくためとなっている。進学校が受験予備校化しており、受験に必要ない科目は極力履修しないことが学校と生徒の間で暗黙に了解されていた節がある。

 ゆとり教育を唱え授業時間を減らしながらも受験のために必要な科目以外にさく時間がなくなるという教育指導のひずみが出てきた事件のように感じる。学校教育が単に受験だけのためなら学校など全て廃止し予備校に変えればよい。無駄と思えるものを通じて知ることも多い。合理性をつきつめれば無味乾燥な人間に育っていくようでならない?受験生に無理かもしれないがゆとりを単に時間として捉えるのではなく無駄と思えるものを楽しむ余裕を知ることと捉えて欲しい。

 社会の選択についても日本史が必須科目でないことを残念に思う。世界に通じる人間に求められる素養の一つに「自分の国の文化や歴史を伝えられること」とある。そうゆう意味においても日本人は国際人になりにくいのかもしれない。