田中長野県知事落選2006年08月07日 13:32

 長野県知事選で現知事の田中氏が敗れた。知名度や若さでは圧倒的に田中氏が有利のはずだった。しかし従来の組織票に対抗してきた無党派層の支持が得られなかったのが大きい。あるいは田中氏の有利が無党派の未投票という油断を生んだのかもしれない。当選したのは69歳の村井仁氏。612725:534229投票率は65.98%。前回は73.78%、この低下分は約135000票、これが全て無党派層とすればこの投票率の低下が明暗を分けたといっても過言でない。
 田中氏の選挙に対する自信が慢心につながっていったのではないだろうか。田中氏独特のパフォーマンスで民衆の心を勝手につかんだと思い込んだり(日本新党の党首となった。住民票をわざわざ遠方の泰阜村に移した。)選挙運動をおろそかにしたりした。(集中豪雨対策を優先させて選挙対策を十分に行わなかった。選挙もボランティアの活動に頼り、積極的には行わなかった。要は危機感がなかった。)
 田中氏の無党派層に対しての派手な演出とは異なり、村井陣営は地道な切り崩し工作を続けていた。無党派層を刺激しないために自公の公認を避け(滋賀県知事選で自公公認候補が苦杯をなめた)、市民団体の取り込みも積極的に行ってきた。
 田中Vs村井の戦いは田中陣営Vs非田中陣営(県議会中心)、野党Vs与党を象徴したが一番のポイントは無党派に対するアピールであった。田中陣営は派手なマスコミへの露出やパフォーマンスで十分と考えていたのに対して村井陣営は反田中派を核に地道な切り崩し作戦を展開した。
 今回の結果は無党派の選挙離れが大きな原因と思う。人の心は移ろいやすい。田中氏が地方の封建政治に大なたをふるった功績は大きい。しかし安定を求めるのも人心である。(田中氏はいつまでも県議会と同調しようとしなかった。)少し違うかもしれないが江戸時代、寛政の改革を為した松平定信を批判する狂歌がある。「白河の 清きに魚も 住みかねて もとのにごりの 田沼恋しき」。(最初老中田沼意次の賄賂政治に嫌気がさして新しく老中となった白河藩の松平定信の倹約を主眼とした改革に賛成していた民衆も余りな禁止令に嫌気がさしてもとの田沼政治のほうが住みよかったと嘆く歌。)
 昨日の敗戦後の会見では「敗戦の将、黙して語らず」とは異なり自分の6年間の改革について淡々と語り続けるだけであった。表情では読み取れなかったが内心無念の気持ちが強かったのではないだろうか。
 これに対して小泉首相、9月に勇退。少なくとも田中氏の二の舞だけは避けられそうだ。破壊と建設、改革と安定。この揺らぐ民意のなかで、村井氏や次期首相はどのような舵取りを行っていくのか、大いに期待したいところ。大変だけれどもそこんとこ、よ・ろ・し・く・。