謎のドラヴィダ人2007年09月28日 01:27

 前回はインドネシアにも羽衣伝説につながるものが残っていたということでした。今回はどこへ話をつなごうかと迷いました。そこで気になったのが日本の羽衣伝説です。しかしさらに気になっていたのは少年が乗りこなしていたという大鷲です。名前がガグーダ。ヒンドゥー教でシバ神(破壊と創造の神)、ブラフマー神(創造の神)と並ぶ最高神であるヴィシュヌ神(守護の神)の乗り物・神鳥ガルーダに名前が似ていませんか?ひょっとすればこのお話、少年がヴィシュヌ神で乙女が妃のデゥイ・スリ(バリでいう稲の神様・ラクシュミーのことか?)を意識して作られたのかもしれませんね。
 ということで少し足を延ばしてインドネシアではバリヒンドゥー教のメッカといわれるバリ島まで行って見ましょう。そういえばここには別ルートをたどったとみられる獅子舞・バロンダンスもありますね。これは今回深入りしません。
 ところでこのバリにも伝説があります。踊りで有名なウブドの隣村のプリアタンの王族に伝わるお話です。それによるとバリ人はそもそも、モンゴルの付近に住んでいた民族から始まる。そこで高貴な白い肌をした女性と、低い身分の黒い肌をした男性が恋に落ちた。しかしそれは許されざる恋だったので二人は駆け落ちしてチベットの付近で暮らした。そこで民族としてしばらく定着した後、山を下りて北インドで暮らした。そこでも民族として定着して暮らしていたが、やがて東南アジアに移動し、バリに来る直前はジャワ島に暮らしていた。しかし、ジャワ島にイスラム教徒が入ってきて攻撃をするのでバリ島に移動し、陸続きだったジャワ島との間を切って独立した島にしたという。
 この伝説が本当なら、深い意味を持ちますね。皆さんはパキスタン付近に繁栄したインダス文明をご存知ですよね。これを興したのがどこからかやってきたドラヴィダ人の祖先ではないかと言われています。そしてその後ドラヴィダ人は北インドに移動しました。またタミル文字を使い、ムルガン神を信仰するなど宗教や建築、音楽、道徳観、食生活に独自なものを持っていました。そこに中央アジアからアーリア人がインド北西部に進出してきました。アーリア人はドラヴィダ人を南部に追いやるとともに奴隷化していきました。それが後のカースト制度の始まりです。アーリア人はインドで始めて文字(古い文字をヴェーダ語、新しい文字をサンスクリット語という)で記録を残した人種であり、またヒンドゥー教の前身であるバラモン教を土着の宗教を取り入れながら普及させました。その聖典の一つが「リグ・ヴェーダ」といわれるものです。その中に先住民と戦った記録があります。それによると「先住民(ドラヴィダ人)はアーリア人の白い皮膚に対して黒い皮膚を持ち鼻は扁平であった」と。バラモン教はその後、仏教やジャイナ教の隆盛で一時衰えていましたが紀元前後に先住民の民間信仰や習慣を吸収することによってさらには仏教の教理を取り込むことによってヒンドゥー教として生まれ変わり再び隆盛を迎えました。
 バリの伝説はヒンドゥー教の伝播の様子を現したようにも思えます。モンゴルからやってきたドラヴィダ人のムルガン神とアーリア人のバラモン教がインドで出会い混合しあいチベットの聖地カイラス山でヒンドゥー教に変わっていった。それが北インド(およびネパール)に広まった。その後東南アジア(カンボジアのアンコールワット)を経てバリまで伝わった。これが事実とすると謎のドラヴィダ人の祖先はモンゴルからやって来たことになるのですが?これは世紀の大発見!???