去年の「節分」は?!2007年02月02日 10:57

明日は節分ですけれど、昨年の節分のブログには次のことが書いてありました。結構力作ですね。お暇な方は読んでください。

『ところで節分とは季節の初めである立春、立夏、立秋、立冬の前日のこと。旧暦においては旧正月と立春がほぼ同じ時期にあたっていたので、立春の前日である節分は新正月の前日の大晦日(おおみそか)と同様、一年の災いや穢れを祓う大切な日とされた。

 節分の行事は、8世紀の初め以来、朝廷で盛んに行われていた、追儺(ついな)の行事から来ている。これは古代中国(周王朝)の風習から伝えられたもので、陰陽師が黄金4つ目の仮面に赤い衣装をまとい右手に鉾、左手に盾を持つという方相氏(ほうそうし)と呼ばれる役を演じ、疫病をはやらせるという鬼の疫鬼(えきき)を追い払うというものであったが、初期には鬼役は存在しなかった。しかし平安末期になると鬼役も出来、大舎人寮(おおとねりりょう)の舎人が鬼に扮しそれを後ろに百人の子供を従えた大舎人長が方相氏を演じた(漢の風習から)。方相氏が鬼儺(おにやらい)の詞を唱え、鉾と盾を3回打つと、それに唱和して桃の弓、葦の矢、桃の枝で内裏の四門を巡って逃げる鬼を追い回し退散させた。まだこの頃は鬼を祓う武器は桃であった。

 ★追儺(ついな)の行事:昨年亡くなった人が鬼となって帰って来、災いをもたらすとの事より、これを追い払う行事。

 それでは豆まきはというと、室町時代の京都において、鞍馬山の鬼が出没して悪事を働いていたが、毘沙門天のお告げによりいり豆を投げつけ追い払ったという説話による。
 また豆まきは節分に限らずすす払いの日、大晦日、七日正月など、新しい季節を迎えるたび邪気を払うために行われていた。豆をまくのは、鬼の目を打つためで、魔目または魔滅に通じるといわれている。また炒った豆を使うのは豆自体に邪気があるのでそれを火で封じるためともいわれている。毒(豆)をもって毒(鬼)を制す。地方によっては豆の代わりに黒豆や勝ち栗をまくそうです。

 また節分には、柊(ひいらぎ)や鰯(いわし)の頭を門口に挿して置いて、邪鬼を追い払うおまじないをする。これは柊の葉はその先のとがったところで(あるいは香りで)、鰯の頭はその悪臭で、鬼を追い払うからと俗に言われている。

 最近では、節分の夜にその年の恵方(えほう)を向いて、巻き寿司を丸かぶりすると一年間良いことがあるという。これはもともと大阪や名古屋の一部で細々と続いていた風習を1977年に大阪の海苔問屋協同組合が節分のイベントとして実施したのが始まり。「福を巻き込む」「縁を切らない」ということより包丁を入れない1本物の巻き寿司が使われる。

 また、京都では節分に「四方参り」の風習がある。これは1000年以上前には節分の日にはその夜だけ、居場所を変え邪鬼を避ける「方違え」の風習があったが、時代が下がり居場所を変えるに代わり鬼門に当たる神社にお参りして厄払いすることが始まり、どの方角が鬼門でもいいように4箇所におまいりする風習。京都では東北は吉田神社、東南は伏見稲荷大社、西南は壬生寺、西北は北野天満宮が一般的。

 ところで追い出された鬼も、群馬県の鬼石町では温かく迎えてくれるそうです。また奈良県吉野の蔵王堂では「福は内、鬼も内」と唱え、追い払われた鬼を救い、仏に帰依させるそうです。

 我が家では、やはり「鬼は外、福は内」と唱え、年齢分の豆を食べましょうかね。(地方によっては年齢+1個)年々食べるのがつらくなる、大きい豆は一個で十個分にしてというのは駄目だろうか?』

ここまで読んだ方ご苦労様です。節分は豆まきというよりは占いでも大事な日、易の世界ではこの日を境に干支が変わります。要するに運命の転換日でもあります。明日を境に皆様の運がますます良くなりますように。ついでに私も!