宝石のお話(8)2005年12月23日 09:18

 しばらくしてなかったね。冬至の話題が忙しかったので。

 前回のように、デ・ビアス社のマーケティング戦略は卓越していた。
 しかも、デ・ビアス社は強運でもあった。
 1976年から10年にわたるイスラエルを中心としたダイヤバブルにも耐えた。

 ★ダイヤバブル:イスラエルは戦後の復興産業として国策としてダイヤ産業を選び、ダイヤ業者に低利の貸付を行った。おかげでダイヤ業者は急激に増えた。一方、欧米ではインフレが起こっておりそのリスクヘッジとしてダイヤを始めとする貴金属が注目され、特に高品質のダイヤが高騰しダイヤバブルが起こった。デ・ビアス社も翌年原石の供給を削減(20%カット)したが、それにもかかわらずデ・ビアス社のサイト・ホルダー(協力会社)からや(後に制裁を加える)アフリカの密輸ダイヤが流入し高騰はおさまらなかった。それも1980年をピークに下落し終焉を迎えた。1986年にはそのせいでイスラエルの業者は多くの原石を抱え倒産した。銀行も倒産の憂き目にあったが、デ・ビアス社に救いの手を求めた。デ・ビアス社もイスラエルの多量の原石(当時15億ドル相当)が市場に出回れば混乱を招くとの判断から5年にわたって買い取った。これによりデ・ビアス社の在庫は膨れ上がり厳しい経営状態となった。★

 次は1994年のアメリカでの独占禁止法違反、1995年のロシア、1996年のオーストラリアの造反、1998年の国連安保理の「アンゴラ反政府軍に対するダイヤ禁輸措置」発動、1999年の国際NGOのグローバル・ウイットネスによる「死に至る取引」キャンペーン(ダイヤ不買運動)も乗り越えてきた。

 現在、ロシアやオーストラリアの造反に加え世界各地でのダイヤの発見でデ・ビアス社は原石の独占は出来ないと判断し、消費市場の確保に向かっている。
 アメリカの歩み寄りを機に、ダーティなイメージを払拭するため、不法ダイヤには手を染めないと宣言し(実際は怪しいが)、NGOの攻撃をかわし、アメリカと和解し、アメリカ市場を再び手に入れている。

 原石の供給はロシア、RTZ(Rio Tinto Zinc:世界第一位の英国鉱業資本)、BHP(Broken Hill Pty:オーストラリア鉱業資本)の台頭により当面4巨頭体制となりデ・ビアス社の独占体制は崩れたものの積極的な自社鉱山の獲得を行い地位の低下を防いでいる。

 他の原石供給ラインのいずれも今までデ・ビアス社が培ってきた価格維持のシステムを利用し続けるだろう。
 なぜならば今後は市場(中国やインド)の拡大で需要に供給が追いつかなくなると予想されているからだ。今のデ・ビアス社の価格システムを利用するだけで莫大な利益が転がり込んでくる。敢えて、値崩れをおこす愚挙に出る必要もない。
 独占は崩れても、デ・ビアス社の優位性はまだまだ崩れそうにない。

 これで、デ・ビアス編は終わりです。次回はダイヤの品質について。それでは。