宝石のお話(5)2005年12月16日 11:57

 昨日は忘年会、イヤー飲み疲れました。たまに大勢でワイワイするのもいいもんですね、

 今日はお約束のデ・ビアス社のお話し、長くなるので何回かに分けて。

 ○1888年、南アフリカの一ダイヤモンド(以下ダイヤ)鉱山主であったセシル・ロ-ズはダイヤの生産量の急増により乱売が起こり、それに伴う鉱山経営の不安定と倒産の危険に面していた。この危機を回避するためには適正な生産と在庫調整による市場での価格安定を目指さなければならない。それのみが生産者、販売者、消費者とそれに関係する全ての人にダイヤに対する信頼を確立出来ると信じた。そのためデ・ビアス社を設立し他の鉱山を次々と買収し、生産をコントロールし、市場の回復を目指した。
 ○1929年10月24日(木)のブラック・サースディ、同29日(火)悲劇の火曜日にアメリカにおいて株の大暴落が起こった。これをきっかけとしてアメリカは大恐慌に突入した。(4年間で銀行4500社倒産、工業生産50%減、1933年失業者1300万人)
 その穴埋めとしてダイヤも売られたが、今まで有事のときに換金性があると信じられていたダイヤがすぐに換金できず出来ても半値以下に暴落した。
 ○1930年、当時世界最大の金、白金の生産者であるアングロ・アメリカン(1917年南アフリカで設立)の創始者でもあるアーネスト・オッペンハイマーが社長に就任。
 ○1934年、大恐慌が終わる頃、生産、在庫のみのコントロールだけでは信頼を確立出来ないと悟ったデ・ビアス社は流通量をも自由に操作するために、他の鉱山を買収するばかりでなく、当時ロンドンにあったダイヤの元締め的存在であったシンジケートを乗っ取った。これを元にCSO(中央販売機構)を設立した。
 こうして、採掘ばかりでなく、加工から販売ルート、価格決定に至るまでの市場を独占出来る様になった。
 ○1950年末、ソ連においてダイヤ鉱山発見(生産量世界の10%、金額で16%)
 デ・ビアス社が全てを買い取る契約。
 ○1967年、日本上陸(ダイヤが輸入制限品目からはずされる)
 ○1994年、アメリカの司法省によりデ・ビアス社、ゼネラルエレクトリック社(GE)と共に工業用ダイヤで独占禁止法違反に問われ、GEは無罪、デ・ビアス社は有罪となり以後アメリカでは犯罪者(幹部以上)とされ上陸は勿論、直接な取引が出来なくなった。(間接は良い)
 ○1995年、1991年のソ連の崩壊に伴いロシアはデ・ビアス社との契約延長をしないと発表。(完全に切れた訳ではなかったが、ロシア側に販売裁量権)これによりデ・ビアス社の独占の一画が崩れる。
 ○1996年6月、アーガイル鉱山(オーストラリア)が自前での販売宣言。さらに追い討ちをかけられる。
 ○1998年初頭、デ・ビアス社は0.75カラット(カットすれば0・2カラット)以下の原石は在庫を持つが価格はコントロールしないと宣言。これは宝石の取扱量の1/3を占める量。この背景には今まで工業用であった小粒の褐色ダイヤの登場があった。

 まだまだ続きますが今日はこれまで、読んでくれた人には「アリガトチャン」そうでない人には「プンプン」。(読んでなきゃ判んないか、アハハ)次回は政治とダイヤが絡んだ「ゴルゴ13」並の歴史、読んでクラハイ。それでは。