赤福問題について2007年10月24日 08:47

 食の安全ということで赤福が問題となっている。
 赤福は創業300年、名前の由来は『赤心慶福「真心(赤心)を尽くすことで、人の福を自分のことのように喜ぶことができる(慶福)」の意味で、表面の波模様は伊勢神宮の境内を流れる五十鈴川のせせらぎを表しているという。
 私も、関西にしばらく住んでいたので良く知っているが、最初は伊勢神宮周辺でしか買えなかったものが近畿鉄道の駅やその関連デパートでも買えるようになり、次第に近畿地区ならどこでも買えるようになっていったような気がする。最初は手作りで真心を込めて作っていったものであろうが、販路拡大と共に機械化していったのだろう。そしてそのうちに売上げが必達目標となり創業当時の「赤心慶福」が言葉だけになってしまった。まことに残念なことである。(赤福は単品のお土産としては売上げ日本一で年間売上高は80億円を越える。)
 赤福のもっともまずかったのは「作りたて」を売りにしたことだろう。そのためか赤福は「赤福餅(もち)」の消費期限を製造翌日(冬場は翌々日)としていた。当然地方発送や大量販売を可能にするには冷凍保存を利用するしか出来ないにもかかわらずにである。
 売れ残りを回収して、作り直して再出荷していたというが、今の法規制のもとでは難しいのかもしれないが昔はパン屋さんなど売れ残ったアンパンやジャムパンの餡を取り出して再度練り直して使っていたようにおもう。また、外側のパンも乾燥させて砂糖をかけラスクとして売っていたような気がする。物を大事にする昔の発想からいえばしごく妥当なことだと思う。確かに食の安全を守るためには、当然、科学的かつ合理的根拠で消費期限を決めないといけないが。今回は「物を大切にする」という精神の認知を得る努力もなく又食の安全を守るための科学的かつ合理的根拠を求めることもなく隠し通してきたところに問題がある。
 食の安全性は重要であろう。しかし、物によっては再利用の道も開かれるべきなのでは。賞味期限や消費期限が切れただけで無造作に捨てられていく食品達。飢えを知らない国民にとっては当たり前なのかもしれないが昔は物がなかった。多少いたんでいても食べていた。たとえば正月の鏡餅。今は真空パックが主流だが昔はカビだらけだった。それでもカビを落としてぜんざいや黄粉もちとして食べていた。今は捨てられる運命にあるのかも知れないが?昨今の政策において消費拡大を標榜するのならば「もったいない」の精神は単なる邪魔者かもしれない。しかし今後は一考の余地があるのでは?「もったいない」は日本人が大切にしなければいけない古からの宝のような気がする。