宝石のお話(6) ― 2005年12月17日 01:12
こんにちは、前回の続きです。お暇でしたらどうぞ。
○1998年6月、デ・ビアス社アンゴラでのダイヤ買い付けを中止。これは、今まで暗黙の了解であった闇(非合法)のダイヤの買取りへの非難が国際的に噴出してきたからだった。これは又デ・ビアス社の新しい歴史の始まりでもあった。
★非合法(紛争)ダイヤモンド:1991年のソ連の崩壊によりそれまで米ソ冷戦の舞台として一応の規律があったアフリカ諸国の秩序が崩れた。それ以降アンゴラ、シェラレオネを始めコンゴ民主共和国(旧ザイール)において政府軍と反政府軍の内戦が続いた。それはロシアやウクライナを始め各国の武器商人がダイヤと交換にだぶついていた旧ソ連製の武器やその他もろもろの武器を供給したことや膨大な利益が戦争の資金源となったため。このダイヤは高品質であったため闇ルートで流通すればダイヤの値崩れを起こす可能性が高く、デ・ビアス社は流通の安定を図るためこの非合法ダイヤを買い取っていた。この他にもデ・ビアス社は他国の密輸ダイヤや盗難、盗掘ダイヤをアントワープの子会社を通じて買い入れていた。(販売額の実に25%がこの非合法ダイヤだったと言われている。)★
○1999年、アメリカ国防省の幹部がロンドンにおいてデ・ビアス社の幹部と面談。歴史に残る和平交渉の成功を望んだアメリカ大統領クリントンは舞台をアフリカに選んだ。その実現のためにはデ・ビアス社の協力が不可欠と考え、アフリカの非合法ダイヤモンドの流通を許さない体制造りへの協力を要請。デ・ビアス社は協力の見返りとして「独占禁止法からの除外」を求めた。
○2000年1月、ダボス(スイス)の世界経済フォーラムの会場の隅でアメリカ司法省の幹部とデ・ビアス社の幹部が密会。当然、独占禁止法についての話し合い、デ・ビアス社の幹部は「デ・ビアスがその気になれば、アフリカ内戦は終結し、貧しい人々の暮らしも良くなると」静かに説得した。
○2000年3月末、紛争ダイヤには今後手を出さないと宣言し、コンゴとギニアの事務所を閉鎖する。
○2000年7月12日、デ・ビアス社は世界のダイヤ原石の需給調整機能を緩和すると発表。(1995年までは市場の80%を支配していたがこの時は生産量の40%、金額で50%の支配に低下していた。)同時に紛争ダイヤを取扱う系列業者の排除も発表。
○2000年8月、デ・ビアス社、ウィンスピアー鉱山(カナダ)を買収
○2000年9月、デ・ビアス社、アーガイル鉱山の38%の権利を有するアシュトン鉱業を買収。(同社が持つカナダやアンゴラ、オーストラリア、フィンランド等での利権確保。)
○2001年1月、デ・ビアス社はフランスのスーパーブランド帝国LVWH(モエへネシー・ルイビトン・・ブランド名はルイビトンをはじめディオール、フェンディ、ジパンシィetcと数々)と提携して小売業界に進出。
○2001年2月15日、アングロ・アメリカンがデ・ビアス社を買収しデ・ビアス社の上場を廃止。(上場している限り業績と共に原石の販売量を詳細に発表しなければならず、そうすれば闇のダイヤの取扱量も明白になる。これで全ては闇の中。)
★持株比率:アングロ・アメリカン45%、オッペンハイマー一家40%★
○2002年10月、世界ダイヤモンド会議においてキンバリー協定が成立
★キンバリー協定: 産出国の証明書がなければダイヤの輸出入が出来ないし、非調印国との取引も禁止。もし違反すれば制裁を課すというもの★
○2003年1月、キンバリー協定が世界45ヶ国の調印で発足
○2004年11月30日、デ・ビアス社、アメリカ連邦裁判所で有罪を認め和解金2億5000万ドルを支払い、裁判所の予備承認を得る。これよりアメリカ市場での直接販売の再開が認められた。
○2005年7月25日、デ・ビアス社、ダイヤ売上げ64億ドル(日本円約7143億円)と過去最大に達する見通しを発表。これは従来のアメリカ市場に加え中国での需要が拡大しているため。
歴史は以上ですが伝統ある企業には色々闇の部分がありそうですね。おお怖!
次回はデ・ビアス社のマーケット戦略他。お楽しみに。
○1998年6月、デ・ビアス社アンゴラでのダイヤ買い付けを中止。これは、今まで暗黙の了解であった闇(非合法)のダイヤの買取りへの非難が国際的に噴出してきたからだった。これは又デ・ビアス社の新しい歴史の始まりでもあった。
★非合法(紛争)ダイヤモンド:1991年のソ連の崩壊によりそれまで米ソ冷戦の舞台として一応の規律があったアフリカ諸国の秩序が崩れた。それ以降アンゴラ、シェラレオネを始めコンゴ民主共和国(旧ザイール)において政府軍と反政府軍の内戦が続いた。それはロシアやウクライナを始め各国の武器商人がダイヤと交換にだぶついていた旧ソ連製の武器やその他もろもろの武器を供給したことや膨大な利益が戦争の資金源となったため。このダイヤは高品質であったため闇ルートで流通すればダイヤの値崩れを起こす可能性が高く、デ・ビアス社は流通の安定を図るためこの非合法ダイヤを買い取っていた。この他にもデ・ビアス社は他国の密輸ダイヤや盗難、盗掘ダイヤをアントワープの子会社を通じて買い入れていた。(販売額の実に25%がこの非合法ダイヤだったと言われている。)★
○1999年、アメリカ国防省の幹部がロンドンにおいてデ・ビアス社の幹部と面談。歴史に残る和平交渉の成功を望んだアメリカ大統領クリントンは舞台をアフリカに選んだ。その実現のためにはデ・ビアス社の協力が不可欠と考え、アフリカの非合法ダイヤモンドの流通を許さない体制造りへの協力を要請。デ・ビアス社は協力の見返りとして「独占禁止法からの除外」を求めた。
○2000年1月、ダボス(スイス)の世界経済フォーラムの会場の隅でアメリカ司法省の幹部とデ・ビアス社の幹部が密会。当然、独占禁止法についての話し合い、デ・ビアス社の幹部は「デ・ビアスがその気になれば、アフリカ内戦は終結し、貧しい人々の暮らしも良くなると」静かに説得した。
○2000年3月末、紛争ダイヤには今後手を出さないと宣言し、コンゴとギニアの事務所を閉鎖する。
○2000年7月12日、デ・ビアス社は世界のダイヤ原石の需給調整機能を緩和すると発表。(1995年までは市場の80%を支配していたがこの時は生産量の40%、金額で50%の支配に低下していた。)同時に紛争ダイヤを取扱う系列業者の排除も発表。
○2000年8月、デ・ビアス社、ウィンスピアー鉱山(カナダ)を買収
○2000年9月、デ・ビアス社、アーガイル鉱山の38%の権利を有するアシュトン鉱業を買収。(同社が持つカナダやアンゴラ、オーストラリア、フィンランド等での利権確保。)
○2001年1月、デ・ビアス社はフランスのスーパーブランド帝国LVWH(モエへネシー・ルイビトン・・ブランド名はルイビトンをはじめディオール、フェンディ、ジパンシィetcと数々)と提携して小売業界に進出。
○2001年2月15日、アングロ・アメリカンがデ・ビアス社を買収しデ・ビアス社の上場を廃止。(上場している限り業績と共に原石の販売量を詳細に発表しなければならず、そうすれば闇のダイヤの取扱量も明白になる。これで全ては闇の中。)
★持株比率:アングロ・アメリカン45%、オッペンハイマー一家40%★
○2002年10月、世界ダイヤモンド会議においてキンバリー協定が成立
★キンバリー協定: 産出国の証明書がなければダイヤの輸出入が出来ないし、非調印国との取引も禁止。もし違反すれば制裁を課すというもの★
○2003年1月、キンバリー協定が世界45ヶ国の調印で発足
○2004年11月30日、デ・ビアス社、アメリカ連邦裁判所で有罪を認め和解金2億5000万ドルを支払い、裁判所の予備承認を得る。これよりアメリカ市場での直接販売の再開が認められた。
○2005年7月25日、デ・ビアス社、ダイヤ売上げ64億ドル(日本円約7143億円)と過去最大に達する見通しを発表。これは従来のアメリカ市場に加え中国での需要が拡大しているため。
歴史は以上ですが伝統ある企業には色々闇の部分がありそうですね。おお怖!
次回はデ・ビアス社のマーケット戦略他。お楽しみに。
最近のコメント