「三社参り」の謎2006年01月03日 19:43

 皆様明けましておめでとうございます。昨年中は色々お世話になりました。本年も宜しくお願いします。さて、今日からブログも再開です。
 今日、三社参りに行ってきました。その一つは宮地嶽神社。そこで1000円払って引いた新春開運くじで特別賞を引き当てました。こりゃTVかなと思っていましたが一万円でした、少しがっかり。いずれにしろ特別賞、今年は春から縁起がいいワイワイ!
 ところでいつもの好奇心!なぜ「三社参り」なの。
 「三社参り」の起源はと調べてみたがはっきりしない
 一説によると願い事は重ねれば重ねるほどご利益があるので、一社だけでなく三社もすればさらにご利益があるからと。それならば三社でなくて何十社でもお参りすればよいではないか。
 どうも三という数字に秘密がありそうだ、神事においては三は神聖な数字、三貴神、三種の神器、七五三等。
 そういえば日本神話の初期においては三貴神ではなく二貴神であったらしい、それが三貴神にいつの間にか変わっていた。二を神聖な三に変更したため。(そのためか天照大御神や建速須佐之男命は結構祭られているのに月讀命はほとんど祭られていない)。
 それでは神聖な三はどこから来たのか、勿論中国からである。5~6世紀、日本においては仏教が伝来したといわれているが、そのほかに儒教と道教も伝来した。
 道教では三清を至高の神として崇めている。(元始天尊、霊宝天尊、道徳天尊のそれぞれが玉清境、上清境、太清境に住むことより三清という)これにあやかって変更されたようだ。
 道教は日本において民衆運動や政争に利用されたため一時は廃止されていた。それがいつ復活したかというと7世紀後半、陰陽道によってである。
 陰陽道は陰陽思想や五行思想を組み込んで日本独自に発達したが途中、神道や仏教だけでなく道教の教えも取り込んでいる。陰陽師(安倍晴明が有名)は国家が管理し、独占していたが平安時代後期には民間にも広がっていった。
 以上から三という数字は中国の三清からきておりそれが民間に広まっていったのは平安時代以降の陰陽師によるものと思われる。正月早々つまらない推理でごめんなちゃい。まあ今年一年こんなもんですわ。それでは皆様今年も宜しく。