心の闇を照らす2006年01月18日 17:35

 先日、宮崎被告に死刑判決が出た。私は昨年からこの日が気になっていた。なぜなら、昨年12月の栃木・茨城にまたがる女子児童(小学一年生)殺人・死体遺棄事件の際、一昨年前にも同じような事件が起こっていたのを思い出していた。調べてみると、奈良で11月に同じく女子児童(小学一年生)が誘拐殺害されていた。その被告が供述書の中で述べているのが「第二の宮崎勤、宅間守として世間に名前が残ればいい」と。まるで二人を英雄視するような発言をしていた。
 その時、宮崎勤も宅間守も私の記憶の中にはすでになく、調べてみると昨年時で16年前(1988~89年)、宮崎勤は東京・埼玉にまたがる連続幼女誘拐殺人事件での被告であり、宅間守は1997年の神戸連続児童殺傷事件の被告であった。
 宅間守は自分の非を一言も詫びることもなく2004年9月に死刑執行が行われていた。一方、宮崎勤は犯行時の責任能力の有無が法廷で争われ最終判決が遅くとも今年の初めには出るとの報道がなされていた。

 ★責任能力の有無:刑法は精神障害などで心神喪失の場合は「行為は罰しない」、責任能力が著しく減退した心神耗弱の場合は「刑を軽減する」と定めている。★

 今回の判決は、責任能力に対する配慮もしつつ「死刑判決を破棄しなければ著しく正義に反する場合には当たらない」と上告を退け、一、二審判決どおり「死刑」を言いわたした。
 もし、作家の佐木隆三氏が言うような「詐病」ではないとしても、責任能力を問う前に、被害者の未来を奪い、家族に絶望を味わわせ、世間に恐怖をばら撒いた罪は決して許されるべきものではない、まして英雄視するものまで出てくるのでは絶対に許してはいけない。そのためにも良い判決だったと思う。
 
 私が調べていて二人に共通したことが二つある。一つは小さい頃から昆虫や小動物の殺害に興味を持っていたこと。親の愛情が薄かったこと。二人が犯行に及んだきっかけになったのは宮崎勤は両親に代わり自分を可愛がってくれていたお爺さんが死んでから、宅間守は自業自得(乱暴狼藉数限りがなかった)とはいえ父親が見放してから(絶縁した)。
 皆心の奥に闇を持ちながらもかすかな灯を求めている。困難なことかもしれないがどのような子供でも親が見捨ててはいけない。心の闇を照らす。それがいつまで経っても親としての責任ではなかろうか。出来れば責任ではなく愛情として。