子猫殺し2006年09月24日 22:27

 子猫殺しで有名?になった直木賞作家・坂東眞砂子さんが現在居住地のタヒチを管轄するフランス領ポリネシア政府より動物虐待の疑いで告発されるかもしれないとのニュースが飛び込んできた。本人は子猫殺しが本当に動物虐待にあたるのかしっかり調べて欲しい、それがなければ言論弾圧だと強気の発言をしている。
 坂東さんの子猫殺しが8月18日付け日経新聞(夕刊)「プロムナード」に掲載されて以来その内容がネット上を騒然とさせている。坂東さんの掲示板では、8月19日にエッセイのコピーが書き込まれてからコメントが突如急増し始め、坂東さんへの批判が怒号のごとく続いている。
その内容は長いので一部を紹介すると。
『・・・避妊手術を、まず考えた。しかし、どうも決心がつかない。獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか。・・・』『生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。そして、この差の間には、親猫にとっての「生」の経験の有無、子猫にとっては、殺されるという悲劇が横たわっている。どっちがいいとか、悪いとか、いえるものではない。・・・』
 要約すれば私は3匹猫を飼っているが、これ以上増えても飼うことが出来ないので子猫が生まれると直ぐ隣の崖下に投げ捨てている。(必然的に死ぬ)避妊手術も考えたが子供を産むことは親猫にとって「生きる」ことでありそれを奪うことは死んだも同然なことである、親猫を「生かす」ために子猫を犠牲にするのは止むを得ないことである。
 まるで猫の気持ちを代弁しているかのような発言である。猫の親はセックスをして子供を産むことだけが「生」なのであろうか?私は猫でないのでその気持ちは判らないが、人間に置き換えてみれば「育てる」のも「生きがい」なのではないだろうか。動物の親でも産んだ後は母乳で子供を育てるはず。そこに本能といわれる母性本能が働くのではなかろうか。
 坂東さんは猫を愛玩動物というよりはもののように扱っているのではないだろうか?生と死をもてあそぶほど人間は偉くなったのか?坂東さんは「死」と「性」のみを主題とした作品が多く、「プロムナード」においても7月7日に「生と死の実感」というタイトルのエッセイ中「ドライブの楽しみは、鶏の死骸を発見すること」との一節がある、同じく8月11日、「天の邪鬼タマ」の中で「飼い犬が産んだ子犬を始末した」との一節がある、そして今回のタイトル「子猫殺し」につながる。「死」も「生」も厳粛なものである。それをおろそかに扱うとはたとえそれが止むを得ない理由だったにしても決して正当化できるものではない。
 最近の「子殺し」「親殺し」にもつながる問題を含んだ話題ではなかろうか、単に坂東さんを批判するばかりでなくこれを機に「生」と「死」について考えてみるのもいいかも知れない。