古代塩余談(4)2007年10月08日 02:12

 岩手県紫波郡にある志賀理和気神社。その祭神が不詳というのが気になった。和気、別とは神に対する尊称ということだが、なぜか和気、別の付く神社が気になり調べてみると次のようになりその中でも理解できないことが浮かび上がってきた。

・都々古別神社「つつこわけ」「味耜高彦根命」福島県東白川郡棚倉町馬場39
・伊波止和気神社[いわとわけ]「戸隱大神、手力男神」 福島県東白川郡古殿町大字田口字戸神269 「岩戸」
・石都都古別神社[いわつつこわけ]「味鉏高彦根之命、譽田別命、大國主命」福島県石川郡石川町下泉296 
・鹿島天足和気神社[かしまあまたらしわけ]「經津主命、武甕槌命」宮城県黒川郡富谷町大亀字和合田2
・伊去波夜和気命神社[いこはやわきみこと]「猿田彦命、武甕槌命、天照皇大神、倉稻魂命、經津主神」宮城県石巻市大宮町5番45号 「11代垂仁天皇の皇子・息速命?」
・伊去波夜和氣命神社「いこはやわけのみこと」「鹽土翁命」宮城県石巻市水沼字平畑164
・遠流志別石神社[おるしわけいし]「倭健命」「倭姫命より授けられし明珠」宮城県登米郡石越町北郷字中沢81
・宇奈己呂和気神社[うなころわけ]「瀬織津姫命」福島県郡山市三穂田町八幡字上ノ台76
「12代景行天皇の皇子・宇奈己呂別尊?」
・飯豊和気神社[いいとよわけ]「御饌津神」 福島県郡山市三穂田町下守屋字飯森山1

 一つには「伊去波夜和気命」や「宇奈己呂和気」が皇子のようなのにその名前が祭神に無い。なぜ?一つには都都古別とは誰?石都都古別神社では出雲系の神様、「味鉏高彦根之命」、「大國主命」と河内王朝の「譽田別命(15代応神天皇)」が併祭されている。なぜ?都々古別神社は「日本武尊」が「味耜高彦根命」を祀ったとされている。それでは「日本武尊」は出雲系の皇子?もしそうだとすると古事記にある出雲征伐はなぜ行われた?そして「味耜高彦根命」「味鉏高彦根之命」(アヂスキタカヒコネノミコト)とは?この神は大国主の子供とされている。しかし国譲りには登場していない。事代主と同じとも言われているが?また古事記では天照大御神と同等の扱いで迦毛大御神(かもおおみかみ)と記されている。なぜ?しかし塩竈神社にも「味耜高彦根命」が祭られていたというが今は無い。「塩土老翁神」と同一とみなされたのだろうか?他の理由で別の神とすりかえられたのではないだろうか?あるいは最初は合祀されていたが次第に消し去られていったものと思える。それが全てではなくいくつかその痕跡が残っていたに違いない。そこで次は「味耜高彦根命」が祭られている神社を調べてみようと思う。

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