古代塩余談(1)2007年10月05日 00:44

 ホンダワラが「なのりそ」といい、「名乗ってはいけない」との掛け言葉になったのは次の故事によるという。
 允恭天皇は皇后の妹である衣通郎姫(そとおしのいらつめ)と情を交わすようになり、度々通ったが、皇后に知られ、なかなか会うことが出来なくなっていた。そこで寂しさから衣通郎姫は次のような歌を読んだ。
・とこしえに 君も会えやも いさな取り 海の浜藻の 寄る時々を(いつでもあなたにお会いできるわけではありません、藻が岸辺に寄せるように稀にしか)
 これを聞いた天皇は「この歌は他人に言ってはならない、皇后にしられたら恨まれる」と。これより人は浜藻を名付けて「なのりそ」(言ってはいけない)と呼ぶようになった。
 次に前に出た万葉歌人「石川君子(いしかわのきみこ)」は女性ではなく男性です。福岡県に赴任したこともあるようで先の歌のほか次の歌もあります。
・志賀(しか)の海人(あま)の、煙(けぶり)焼き立て、焼く塩の、辛(から)き恋をも、我(あ)れはするかも(志賀島の海人が煙を立てて焼く塩のように辛い恋さえする私です)
この石川君子はモテモテだったようで、赴任地の姫路から帰京するときに(霊亀二年・716播磨国守になり養老四年・720・十月、兵部大輔に遷任されて帰京)播磨娘子(遊び女)から二首の歌を贈られている。
・たらゆきの山の峰(を)の上(へ)の桜花 咲かむ春へは 君を偲(しの)はむ (たゆらき山の頂きの桜の花が咲く春になったら、あなた様をお偲び致しましょう)
・君なくはなぞ身装はむ櫛笥なる黄楊の小櫛も取らむとも思はず (あなたがいなくなったらどうしておしゃれしなきゃいけないの、櫛箱の中のつげ櫛を取る気にもなれないわ)
 他にも「なのりそ」を使った歌に山部赤人の
・みさごゐる 磯廻(いそみ)に生(お)ふる 名乗藻(なのりそ)の 名は告(の)らしてよ 親は知るとも(みさご(鷹の仲間)のいる磯の「なのりそ」のように、あなたも名をお言いなさいよなさいよ、親に知られてしまっても)
 ここでは「名乗れ」として使っている。いい加減というかおおらかですね。それにしても恋多き時代のようです。まぁ、歌人だけかもしれませんが。