落合監督ブーイング2007年11月02日 08:25

 勝負とは非情である。今回中日の落合監督に対して、完全試合に後一回のところで先発、山井投手を降板させたことに対して非難の声があがっている。
 ジャーナリストの玉木氏はそのHP上で「野球の最も美しい瞬間を消したのは誰や!スポーツに対する冒涜や!」「100年に1度あるかないかの凄い興奮の瞬間よりも52年ぶりの優勝を確実にしたかったというならナント小心な夢のない野球か!」といきまいているし、星野元監督は「私だったら絶対、交代はさせない。落合監督は投手ではなかったので投手の気持ちが判っていない。」野村監督も「普通、監督10人いても10人とも交代はさせんやろ。」と落合采配に不満を漏らしている。
 しかし、頭を丸めてまで決勝に臨んでいる落合監督にしてみれば、情をとるより確実性を取るしかなかったのだろう。山井投手は手にまめができていたともいうし。
 私は心情的には続投して欲しかった。しかし、それはあくまで私情からである。もし監督が続投を許し、先頭バッターにホームランを打たれ、同点とされ、その後逆転されたとしたら。しかもその後の試合で連敗し優勝を逃がしたとしたら。ファンは許してくれるだろうか?試合は監督の采配一つで流れが大きく変わる。したがって最終責任は全て監督にかかってくる。最終的には一人で決めなければいけない。その重さ、孤独感、それはその人それぞれの持つ人生観によって変わる。それを他人が表面的な結果だけを見て安易に批判すべきではないのではないだろうか?私は落合監督が行った判断は間違っていなかったと思う。監督は野球を楽しくするためにいるのではなく、勝利に導くためにいるのだから。また選手も個々の名誉より全体の勝利を優先させるべきだと考えるから。ただ私や玉木氏や星野元監督とやり方が違っていたというだけ。すなおに山井投手、落合監督おめでとう。皆さんもそれでいいのでは?