古代塩余談(2)2007年10月06日 02:11

 鹽竈神社別宮のご祭神は中央に塩土老翁神(しおつちおぢのかみ)・左宮に武甕槌神(たけみかづちのかみ)・右宮に経津主神(ふつぬしのかみ)です。武甕槌神(日本書紀と古事記に現れる)と経津主神(日本書紀にのみに現れる)は「国譲り」の際に活躍した武勇人で、武甕槌神は神武東征のときに八握剣を高倉下(尾張氏遠祖)に命じて神武天皇に渡している。(その刀は神武天皇が物部氏の遠祖・宇摩志麻治命に賜わし、その後石上神宮に納められた。「韴霊剣(布都御魂・フツノミタマ)」という。)
 一方、経津主神は別名、斎主神(いわいぬしのかみ)、伊波比主神(いわいぬしのかみ)とも呼ばれ。経津主神の祖は伊弊諾尊(イザナギ)が軻遇突智(カグツチ・火の神)を斬ったとき、十束剣から滴る血が固まって出来た岩という説とその岩から生まれた岩裂神、根裂神、さらにその子である磐筒男、磐筒女が生んだとされる説がある。「国譲り」では武甕槌神を従えて出雲に行ったといわれている。(出雲風土記等では経津主神のみが天降っている)経津主神は古事記の中では記述が無く武甕槌神が用いていた剣(布都御魂(ふつのみたま)または佐士布都神(さじふつのかみ)、甕布都神(みかふつのかみ))が神格化されたものではないかと言われている。フツは刀剣で物がプッツリと断ち切られる様を表すもので、刀剣の威力を表しているという。逆に布都御魂は経津主神の刀で武甕槌神とは関係ないとも言われている(先代旧事本紀)。また古事記の中で武甕槌神の別名が建布都神(たけふつのかみ)または豊布都神(とよふつのかみ)とされていることより同一人神とも見られている。しかしこれらは中臣氏の台頭により武甕槌神に神格を奪われたのではないかとみられている。
 武甕槌神は鹽竈神社のほか鹿島神宮(茨城県鹿島郡)、石上神宮(奈良県天理市)、春日大社(奈良県奈良市)、枚岡神宮(大阪府東大阪市)の主祭神となっており経津主神は香取神宮(千葉県香取市)、石上神宮(奈良県天理市)、春日大社(奈良県奈良市)の主祭神。
 かなり脱線しましたね。その両祭神が海路を渡り東北を平定するときに道案内をしたのが塩土老翁神と言われています。塩土老翁神は両祭神が東北平定後もこの地に止まり、現地の人に塩作りを教えたと言われています。また航海の神として海上安全や、大漁の神。潮の満ち引きを司るとして今は安産の神様としても知られています。
 この鹽竈神社に隣接して志波彦神社が有ります。かつては東山道から多賀城至る交通の要所(仙台市宮城野区岩切八坂神社境内)にあったそうで「延喜式」では「明神大社」に列せられ朝廷より最高の扱いを受けていたといわれています。祭神は志波彦大神で塩土老翁神に協力した神といわれています。志波彦は東北平定中に亡くなった天皇家ゆかりの人か亡ぼされた地元の豪族かもしれませんね。
 これを解釈すればかつて千葉、茨城にいた豪族が舟で東北に攻め入ったときに水先案内人を務めたのが塩土老翁神でこの時、製塩技術も伝わった。そうすれば塩のルーツは茨城?ただ新しい製塩技術を伝えたということもありうる。土器から鉄器へ?謎ですね!

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