真の快楽2007年07月13日 13:46

 人生の究極の目標とは、善であり、正義であり、美であるという。では具体的に何が善で、何が正義で、何が美であるかというとあいまいになってしまう。ある人は究極の善とは「快楽である」といっている。ただし、瞬間的な感覚による快は後に苦をもたらすという。真の快とは苦痛を伴わない魂の安らぎをもたらすものだから。

 人は「究極の善」を求めながらも、その実体に気づかず、一時的な快楽を求めてしまう。人にとって本当の魂の安らぎは死によってでしか叶えられないのだろうか?しかしそれすらも輪廻転生を信じるのならば一時的な逃避に過ぎない。

 人が魂の救いを宗教に求めても、その指導者にすでに力もなく。本来個人の道徳観に頼っていたものも戦後の長い間の道徳教育の欠如により、人を支配、導く階級の道徳倫理観が崩れさり、物事の道理さえも崩壊してしまった。

 良いことをするにもそれが自分のためになるのかならないのか打算的になり、人の価値や親切さえも金銭で評価する。

 私は「真の快楽」を求めて、残りの人生を使おうと思う。