絵画盗作問題について2006年06月12日 13:21

 盗作問題の和田氏、芸術選奨文部科学大臣賞に続き東郷清児美術館大賞も取り消された。
 本人はあくまでアルベルト・スギ氏とは懇意の仲でかつてのピカソとブラックがそうであった様にオマージュ作品でありスギ氏の平面的な表現を私独自の世界(深みのある空間、造形およびその技法)の表現に変えたもので盗作ではないと説明している。しかしながらスギ氏本人は和田氏の意図を理解していない上(和田氏の勝手な判断)、作品の構図を重ねてみるとほとんどが一致することより基本をコピーしそれに加筆したものと判断されてもしかたない。かつて他人の写真作品の一部を絵画にして盗作とされた例もあったが今回はこれに似ている。
 東郷清児美術館大賞の受賞理由は「感覚の新鮮さ」と「独自の世界の形成」であったが和田氏の作品はたとえ作品の出来としてオリジナルを越えていたとしても上記二点を含むものではなく受賞理由の根本が壊れたと取り消されたもの。(盗作とはいっていない)美術評論家の瀬木慎一氏が述べているように「創作上の遊び・挑戦というなら、誰もが知っている作品を扱わなければならない。その上で原作を超える力を持たないと創作とはいえない」。私も同感である。イタリアの無名作家の作品を模写して自分なりに加筆して自分の作品だと発表するなんぞ言語道断である。また和田氏の文化庁への説明書の中で「・・スギ氏は美術大学を出ていないので私の絵画能力を大きく評価した・・・」「当時イタリア画家はローマの美術大学の講師を含め程度が低くて失望していました」等自分の能力の卓越性を書き綴っている。いくら絵を描くテクニックがあろうとそこに創造性がなければ真の作家とはいえないのでは、彼は名声に憧れて自分自身を見失ってしまったのでは。
 昔、トム・キーティング贋作事件というものがあった。1947年ごろ絵画修復業をしていたトムの腕前は王侯貴族も認めるものであったが、裏で25年間にドガ、ルノアール、ゴッホ、ゴヤなどの巨匠から無名の作家まで2千点以上の贋作を作成していた。作成した理由を後に「巨匠の魂が自らの手に宿った」と語っている。どのような精神状態だったのだろうか?そして和田氏は?